29.5.05

やはり勝たねばいかんのではないかと思った

いよいよ明日、スーパーカップの決勝、日本代表 vs カナダ代表。

日本ラグビー協会のルーマニア戦会見レポートで箕内キャプテンの発言。
1点差でもいいので勝ちたい。自分たちが春からやってきたラグビーを、きょうの試合よりもいいかたちでお見せしたいと思っています

その通り。
そして「いい試合」をすることよりも「勝つ」ということを重視してもよいのではないか…そんなことをふと考えてしまった。

先のルーマニア戦の後。
ルーマニア戦はきっちり勝った。次は、内容のいい試合を見たい。そう思った。
でも、ふと今日、内容云々の前に、やはり勝たねばしょうがないという気がしてきた。
たとえ、ルーマニア戦の反省が直っていないとしても、たとえ目指すラグビーが見えなかったとしても、やはり勝たねばいけないのではないだろうか。
仮に内容はよかった。けれど負けてしまったとする。
ラグビーファンの多くは「目指すところは見えた。いいプレーも随所にあった。負けても意味のあった試合だった」と考えるかもしれない。
しかし、多くの、特にラグビーが好きというわけでもない人たちは「ふーん。負けたんだ。いい試合?でも負けたんでしょ?」と、なるのではないだろうか。
メディアにしても「日本代表が勝った」という試合と「負けた」という試合では、取り上げ方も変わるのではないだろうか。(勝っても負けてもたいして取り上げられないという可能性の方が高いとも思うけど)
また、海外に対しても日本代表が格上を破って優勝ということは、多少なりともインパクトを与えられるのではないだろうか。ルーマニアも主力の数名がいなかった、カナダだって若手中心、そもそもIRBのランキングだって、どうもいまひとつ信用できない。そうかもしれない。しかし、スーパーカップはIRBも認めている大会なのだ。そして、IRBランキングも、信用できようができまいが、ひとつの指標として確立されている。変な例えだけれど、たとえ実際に外国に行ってまともに会話が出来なかったとしても、TOEICで750点もとっていれば、この人は英語が出来る人と見られるはず。IRBランキングも同じようなものだと思う。
昔、マコーミックが「日本では負けてもいい試合だったという評価があるが、それはおかしいと思う。テストマッチは勝たなければ意味が無い。勝った上で、その試合の内容を評価しなければ意味が無い」というようなことを言っていたというのをどこかで読んだ記憶がある。その通りなのではないだろうか。
明日も「結果」を見せてほしい。
��===
なぁんて書いてしまったのですが、ルーマニア戦の反省をいかした「いい試合」をしないと、カナダに勝てないのではないかと思います。
つまり「勝つ」という「結果」を出すということは、少なくともルーマニア戦よりもいい試合をしないといけない、逆を言えばいい試合をすれば、おのずと結果も着いてくるのではないかという思いもあります。
同じ反省するなら、勝って反省できる試合を。
もちろん、勝って反省する必要がない試合・・・というのが、理想的だと思いますけど。
��===

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