まだ、全部読んだわけではないのですが、ちょっと気になった記載があったので。
ちょっと長くなるが、その部分を引用させていただきます。
アンドリュー・マコーミックをはじめとする外国人プレーヤーたちが、ゲーム中に見せる日本人にない強さを極論してしまうなら、自己責任によるプレー選択の決断力が優れているからではないかと筆者は考える。
目の前にいる相手にタックルに入るか入らないか。タックルしたあと、倒れたまま休むか、次のプレーに向かうか。アタックのオプションである、ラン・パス・キックのどれを選ぶか。
試合中、無数に繰り返される個々のプレーは、すべてその選択の結果といえる。
その選択は自由であるだけに、また責任も伴う。彼らは選択が失敗したときの処理の仕方も訓練されている。だからこそ、自由な選択の決断ができるのである。
ところが、この訓練がほどこされていないと、責任を取るすべを知らず、自由であることを恐れる。恐れは判断を遅らせ、ときには正しい選択ができなくなる。
ジョン・カーワンやケブン・シュラーなど、日本在住のオールブラックス経験者からも、「日本人プレーヤーは、フィットネスと技術の面では外国人に見劣りはしない」という証言を聞くことができる。カーワンなどは、「NECのチームメイトには、オールブラックスの基準値を超えている者もいる」とさえ言っている。
日本人プレーヤーの弱さは、体格・体力・技術といった身体的要因よりもメンタル面の問題が大きいといえるのである。
この後、日本が「人との競争社会」であり、往々にして人と比較して「人より劣っていないところで満足感を得る」と分析。それに対して、ニュージーランドでは「自分との競争」であり、自らの目標に対して競争をする。これがメンタル面での強さを生んでいるとしています。
そして、
日本では、「負けたけどいいゲームだった」とよく評価することがある。日本人にはその心情が理解できる。これがじつは、「人より劣っていない満足感」なのだ。
(中略)
マコーミックは、「負けたけどいいゲームだなんておかしいよ」と言う。
カーワンもこう言う、「勝つかどうかがまず大切なんだ。どう勝つかはそれほど重要じゃない。勝ったあとで少しは内容が評価されるくらいだよ」。
としています。
この本が出たのが1999年。それから5年。
果たして、日本代表は進歩しているのか……。
��この本については、全部読んだら、また別途感想をアップしようと思います)
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